めんどうくさがり会社員の生存戦略ノート

めんどうくさがりな会社員が日々の生活や趣味や社会情勢など雑多なテーマを書き残します。見た人が何かに役立てられるといいな。とにかく文章が書きたい。

完璧主義が怠惰に負けて返しそびれている本を読む


こんばんは。ニノマエ9541です。
労働をして家事に参加してブログ記事を書いて、となるとなかなか他の余暇を過ごすのが難しいですね。家にいる時間の使い方が改善しそうでありがたいですが、慣れるまではちょっとしんどくなりそうだなということを改めて実感しています。
本日はスマホから投稿してみているので、字数や見え方が前の3記事と比べて違和感あるかもしれませんが、通して見る人はしばらくいないだろうし大丈夫ですかね。

題の通り、今読んでいる本と、これを読むに至った経緯(と懺悔)について書き残そうと思います。
今読んでいる本は『紗央里ちゃんの家』(矢部 崇)です。私は本も読まなければ小説も滅多に読まないのですが、これは陰鬱なストーリーのわりになかなか読みやすく、スラスラ読めて助かります。まだ全体の1/5程度しか読めていませんが、こういう湿り気と狂気がじっとりと漂っている物語も良いですね。全て読み終えたら感想記事も別途挙げたいと思います。
さて、なぜ普段本を読まない私がこのような鬱々とした物語を読んでいるのかという話です。それは、この本が借り物だからです。しかも1年半以上借りています。つまり「早く返したい。」のです。
もちろん、早く返したいなら「ちょっと読んでみたけど口に合わなかったから返すね。ありがとう。」と1週間くらいで持ち主に返せばよかったのですが、残念ながら私は確かに「本は読まない」ものの「本が嫌いではない」ことから内容に興味が湧いた上に、「読まないで返すのは申し訳ない。」という余計な罪悪感が邪魔をしてすぐに返すことはせず、かと言って「実際に読むのはめんどくさい」という怠惰によって読むこともなく、とうとうここまで引きずってしまったわけであります。こうして文章に残すとクズ極まりますね…。
また、ここで更にクズ要素を追記してしまうと、この本の持ち主というのが今交際している女性なんです。彼女は幸い私をずいぶんと好いていてくれるし、この本を私に貸したことも忘れていそうな気配があるのですが、それがなおのこと私の罪悪感を「ちゃんと読んでから返さなければあまりにも申し訳ない、だからまだ返すわけにはいかない」と掻き立てるのです。しかし、掻き立てられた罪悪感が「本を読むのはめんどくさい」という怠惰に敗北してしまう日々が現在進行形で続き、今に至っています。マジで私はクズですね…。正直、彼女は忘れたふりをしてくれているだけで私が謝るのを待っているとも思います。

以上の理由から、本の中身への興味と、何よりも「ちゃんと読みきって返して謝りたい。」という動機から、数年ぶりの読書に勤しんでいるのでした。(また、読むことで彼女の興味や考え方を別の角度から知りたい、という思いも少しあるのでした。)彼女にこの本を返却する時には土下座と口頭での謝罪と謝罪文と共に感想レポートを提出しようと思います。
ということで、短いですが今日はここで記事を終えて読書に戻ります。偶然この記事に辿り着いたあなたも、借りたものは借り続けていると返すタイミングや返すためのあるべき礼儀を見失って罪悪感の沼に沈むことになりますので、くれぐれも気をつけて。(私ほどのクズが、偶然このブログのこの記事に辿り着く確率というのも大概ですが。)

では、また!